家族にだけ、見返りを求めずお金を出せる理由

家計管理

家族のためにお金を使うとき、皆さんは何を考えていますか。

子どもの誕生日プレゼント、妻への記念日、家族旅行、教育費、親への仕送り。
こうした支出に「打算はゼロです」と即答できる人は、たぶんあまり多くないと思います。

僕自身、最近こんなことを考える機会がありました。
「自分は無償の奉仕ができない人間なんじゃないか」と。
心のどこかで「これだけしてやっているんだから」と、損得勘定が動いてしまっている。
そんなマッチャー気質が、自分には確かにあるなと。

でも、ここで一つ妙な感覚がありました。
家族に対してだけは、その損得勘定が動いていない気がする。

今日はそのあたりを、家計と感情の関係として整理してみたいと思います。

無償の奉仕は、本当に自分の中にあるのか

最近、自分の性格を客観的に見つめ直す機会がありました。
そこで自分にしっくり来たのが「マッチャー型」という捉え方です。

マッチャーというのは、心理学者のアダム・グラントが提唱した分類で、
「与えられたら同じくらい返す」というバランス重視の人間のこと。
聖人のように与え続けるギバーでもなく、奪い取るテイカーでもない。
世の中で一番数が多いタイプだそうです。

僕は迷わずこのマッチャーに当てはまります。
気を使ってもらったら気を使い返したいし、おごってもらったら今度はこちらが出す。
逆に、「こちらは出したのに相手は何もしない」という状況を、
かなりはっきり覚えてしまうほうです。

それで、ふと思ったんです。
「自分は無償の奉仕ができないタイプなんだな」と。

ところが、家族に当てはめてみたとき、少しだけ感覚が変わりました。

妻や子どもにお金を使うとき、家計計算はします。
予算をはみ出さないように、月々の固定費とのバランスを見ながら判断します。
でも、「これだけしたんだから何か返してね」という意識は、少なくとも表層にはないんですね。

ここで自分でも引っかかったのが、表層にはないけれど、深いところに何かがあるかもしれない、という感覚でした。

「見返りを求める」と「繋がりを保ちたい」は別物

掘ってみると、深いところにはこういう気持ちがありました。

「家族との信頼関係を築いておくことで、今後も関係を良好に保ちたい」

これは果たして、見返りを求めていることになるのか。
ぱっと聞くと「結局打算じゃないか」と感じる人もいると思います。
でも、よく考えると、ちょっと違う気もする。

「見返りを求める」と「繋がりを保ちたい」は、外から見ると似ていますが、内実はけっこう違うものです。

「見返りを求める」のほうは、心の中で損得勘定が走っている状態。
これだけ出したのだから、相応のものが返ってくるべきだ、という計算が頭の中に常駐している。返ってこないと「裏切られた」になります。

一方、「繋がりを保ちたい」のほうは、出すこと自体が、
関係そのものの維持に直結している状態。
返ってくるかどうかは、本質的な目的ではない。
返ってこなければ「寂しい」「悲しい」にはなるけれど、「裏切られた」にはならない。

我が家の場合、妻や娘に何かを贈ったあと、たとえお礼の言葉が薄くても、僕の中で「裏切られた」までは行かないんですね。
「あれ、あんまり響かなかったか」と寂しさは出ますが、それで「次からはやめよう」とはならない。

おそらく家族に対して動いているのは、損得勘定ではなく、繋がりを保ちたいという別ルートのほうなんだと思います。

大学費用は「行かせてやりたい」ではなく「投資判断」で考えている

このルートの違いが、もう少しわかりやすく出るのが教育費の話です。

我が家は、子どもたちの大学進学を視野に入れて積み立てを進めています。
学資保険ではなく、NISAと現金貯金を組み合わせて教育資金として準備中です。

ただ、その動機を自分の中で言語化してみると、よくある「子どもには大学に行かせてやりたいから」とは、少し違うんですね。

僕の中での判断軸はこうです。

「大学に進学することで、生涯賃金が上がる可能性があるなら、投資する価値はある」

つまり感情ではなく、投資としての合理性で見ている。
だからこそ、娘にもこう伝えています。「勉強したくないなら無理しなくていい。
あまり評価の高くない大学にしか行けないなら、行かなくていい」と。

これは突き放しているわけではなく、教育費を感情予算ではなく投資予算として見ているからこそ言える言葉だと思っています。
投資先として価値が薄いなら、その選択肢は外す。
代わりに、別の道で生涯収入を上げる手段があるなら、そちらに使ってもいい。

子ども一人あたり数百万円かかる出費を、「親なんだから出すのが当然」という雰囲気だけで決めると、本当にその子のためになっているかが見えにくくなる。
家族に対してこそ、ぼんやりした感情予算を作りたくないんだと思います。

家族は「愛している人」ではなく「守るべきコミュニティの人」

ここまで書いてきて気づくのは、僕の中で家族は、「無条件に愛している特別な人」というより、「守るべきコミュニティの人」として位置付けられているということです。

冷たい言い方に聞こえるかもしれません。でも、自分にとってはこの整理のほうが、むしろ家族にお金を出しやすくする土台になっています。

なぜなら、コミュニティの一員として責任を持って守ると決めれば、その日の自分の感情が荒れていようが、仕事で疲れていようが、ちょっと喧嘩した直後だろうが、家計上の支出判断には影響しないからです。

我が家でも、家族間で揉めることはありますし、
僕自身、子どもに腹を立てることも普通にあります。
でも、そのときに「だから来月のお小遣いは減らす」とはならない。
怒りは怒り、支出は支出、というふうに、頭の中で別の口座で動いている感覚があります。

これは、感情ベースで家族と繋がっている人にとっては、逆にやりづらい部分かもしれません。
気持ちが冷えると財布が閉じる、というタイプの愛情表現は、僕にはあまり馴染まない。

その代わり、「守るべきコミュニティ」と決めたところには、感情が揺れた日でも淡々と回し続ける運用ルールが効いてきます。

今日からできる、小さな一歩

ここまでの話を、読んでくださっている方に少しだけ持ち帰っていただけるとしたら、こんな問いが役に立つかもしれません。

「自分は家族にお金を使うとき、どのルートで判断しているのか」

具体的には、こんなチェックを試してみてください。

家族に何かを贈ったあと、相手の反応が薄かったとき、「次からは出さない」と感じるか、それとも「ちょっと寂しいな」で済むか。
前者寄りなら、損得勘定が動いている状態。
後者寄りなら、繋がりを保ちたい別ルートが動いている状態です。

教育費や家族旅行など、大きめの支出を考えるとき、「家族なんだから出す」で止まっているか、それとも「これは何のために、いくら使うのか」を言語化できるか。
言語化できているほうが、感情の波に振り回されにくくなります。

そして、家族と喧嘩した直後の自分を、ちょっと観察してみてください。
財布の紐が、感情に連動して動いていないか。
連動しているなら、別の運用ルールを足してみてもいいかもしれません。
「気持ちは気持ち、お金はお金」と、頭の中で口座を二つに分けてみる。

最後に

無償の奉仕ができない自分。
家族にも、深いところでは繋がりを保ちたいという理由がある自分。
教育費すら投資判断で見ている自分。

並べてみると、けっこうドライな人間だなと自分でも思います。

でも、こういう自分のままでも、家族にお金は淡々と出せるし、信頼関係も少しずつ積み上げられている気がしています。

聖人のように見返りなく与え続けることはできなくても、「守るべきコミュニティに対しては、感情と切り離してお金を回す」という運用ルールを、自分の中で作ることはできる。

家計管理って、結局のところ、こういう自分なりの内部ルールの設計だと思うんです。
家族を無条件に愛している人だけが、家族のために家計を動かせるわけではない。
そう気づいてから、僕の中の家計管理は、少しだけ気が楽になりました。

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